Buldan Weaving
トルコの最高級手織り ブルダン織り
古代ローマから受け継ぐ伝統 トルコ ブルダン織り ブルダン手織り 世界遺産パムッカレがヒエラポリスと呼ばれ 温泉リゾート保養地として栄えた頃、
ブルダンは 都市国家 トリポリスと呼ばれ、織りもの・はた織り・機織りの産地として繁栄し、オスマン帝国 オスマントルコ時代には帝国御用達となりました。
古代ローマから続く“はた織りの里”
トルコ共和国 ブルダン

ブルダンは古代からの「織りもの」街

トルコ南部の世界遺産パムッカレが、
古代ローマの温泉リゾート「ヒエラポリス」として栄えた頃、
トリポリス(現ブルダン)は織りもの街として栄えました。
ローマを出発した王侯・貴族、商人たちは、
パムッカレの一歩手前のブルダン(旧トリポリス)でひと休み。
彼らはブルダンで旅塵を払って休息し、
着替えの衣類や温泉で使用するタオルなどを新調したため、
ブルダンは「織りもの」の産地として栄えました。

■トルコが誇る悠久なる伝統文化のひとつとして
ブルダン織りがテレビ番組で取り上げられました。

BS TBS番組『トルコ大紀行 』~エピソード3~
特別番組
『トルコ大紀行 エピソード3』全編はこちらから
古代ローマの「温泉リゾート」
ヒエラポリス・パムッカレ

貴族の温泉リゾート
パムッカレは、
地球が約1200万年かけてつくった石灰の山。
高さ200mほどの山の頂上で湧出する温泉が、
数百万年も山肌を流れ続けて白い山をつくった。
古代ローマ時代になると、
山の頂上の平地部分に街が造られるようになった。
その街はヒエラポリスと名づけられ、
ホテルや大浴場に加えてローマ劇場をそなえる
高級温泉リゾート(保養地)として大発展し、
帝都ローマからは多くの貴族・商人たちが訪れた。
古代劇場の収容人数は15,000人という大規模で
その大きさから当時の繁栄ぶりがうかがえます。


収容人数15,000人を誇る
古代ローマ劇場
古代遺跡が沈む
古代ローマ浴場

ローマから旅して、
ヒエラポリスまであと一日。
そんな場所にあったトリポリス。
温泉へ向かう貴族や商人たちが
旅塵にまみれた衣服を新調するための
織りもの街として栄えることとなります。
しかし、
街の歴史はヒエラポリスより遥かに古く
古代文明の十字路として存在していました。

紀元前4000年から続く街
トリポリス


今でも発掘・復旧作業が続く
6000年以上の歴史を有するトリポリス遺跡。
遺跡の発掘調査によって、
紀元前4000年頃から街が存在していた
ことが明らかとなったトリポリス。
「トリポリス」という名が冠されたのは、
紀元前1世紀頃にさかのぼる。
当時のアナトリア半島(現トルコ)南西部では
フリギア国・リュディア国・カリア国という
3つの王国が繁栄を誇っていた。
トリポリスは、
3王国の十字路に位置していたことから
3王国の民が共に居住する場所となり、
“トリ=3国の” “ポリス=都市” と呼ばれた。
ちょうどこの頃、
王国そのものがローマ帝国に帰属したため
古代ローマ帝国の一都市として繁栄していった。

遥かなる古代から文明を築くトリポリス。
ヒエラポリス温泉の繁栄と共に
その「織りもの文化」はさらなる発展を遂げました。
オスマン帝国時代には皇室の御用達となり、
その品質の高さは帝国内随一と讃えられました。
そして、
街の名がブルダンと呼ばれるようになった今でも
「ブルダン織り」という名で受け継がれているのです。

トリポリス遺跡に残る古代からの紋章
ブルダン織りのブランドロゴはこの紋章から生まれました。
オスマン皇室御用達

皇后ヒュッレム
クレオパトラや楊貴妃と並び称される
世界三大皇妃のうちの一人である
皇后ヒュッレムがこよなく愛したたブルダン織り。
(最も偉大とされる大帝スレイマン1世の妃)
また、皇帝ベヤズド1世は、
愛娘の婚礼に花嫁衣装をブルダンであつらえたりと、
オスマン帝国時代のブルダン織りは、
皇后たち女性のみならず、皇帝からも愛された
皇室御用達の最高級ハイブランドでした。

受け継ぐ「誇り」があるから“楽しい”

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